奇妙な場所を走るといえば、日本にも住宅すれすれの場所を走る江ノ島電鉄があるが、世界には更に信じられない場所を走る電車がある。
1.マンションの中を通り抜ける列車
中国で最も人口の多い都市の一つである重慶の珍しい地形と高い建物密度のため、モノレールを開通するのに工夫が必要だった建築家と都市開発担当者が編み出した解決方法:それがなんと19階建てのマンションの中を通すという方法だったのだ!
大巴、呉山、武陵、ターロウ山脈に北、東、南を囲まれた重慶はその地形の大半が斜面でできている。それが、高い建物密度と約4,900万人の人口によるスペースの欠如と相まってインフラ整備を非常に困難にしていた。2004年にモノレール第2号線が承認された時、建築家と都市開発担当者にはマンションを取り壊してモノレールを通す場所を作るか、マンションの2フロア分をトンネル状にしてその中にモノレールを通すという2つの選択肢しかなかった。見た目にも非常に型破りではあったが、専門家は2番目の選択肢を取った。●それから13年、彼らはそれが正しい選択だったと確信している。
2.狭い道を通り抜ける列車
通常、鉄道路線には通行人に対し接近する列車に注意するよう警告する標識なり、柵があるものだが、もし線路が自宅の玄関の数歩先にあったとしたら?
これがベトナム・ハノイではよく見られる光景である。繁華街の通りでは、人々が市の旧市街にある鉄道線路沿いに住み店を構えており、列車が通過する時のみ一時的に線路から移動したり、店を閉め、列車通過後ただちに店を再開するのだ。
3.世界最長・最深トンネルを走る列車
2016年、約20年の工事期間を経てスイスに世界最長かつ最深の鉄道トンネルが開通した。スイスのアルプス山脈を横断する全長57kmの「ドッダルド・トンネル」はヨーロッパ北部と南部間を高速鉄道で繋ぐこととなった。
最近まで年間100万台の車で運ばれていた品物は、今や列車で運ぶことが可能となった。このトンネルは53.9kmの日本の青函トンネルを追い越し世界最長となり、英国とフランスを結ぶ50.5kmの英仏海峡トンネルを世界第3位へと押しやった。
4.空港滑走路を横断する列車
ギズボーン空港は、ニュージーランド・ギズボーン西郊外に位置する地方空港である。また、滑走路を横断する鉄道線路を持つ世界でも稀な空港の一つでもある。160ヘクタールに及ぶこの空港には3つの芝滑走路と、パーマストンノース・ギズボーン鉄道の線路が横断するメイン滑走路がある。
タスマニアのウィンヤード空港も滑走路上を鉄道が横断していたが、倒産の危機にあった鉄道交通が2005年初頭に閉鎖された。ニュージーランドのギズボーン鉄道は朝6時30分から夜8時30分の間に運行している。
この鉄道の魅力は何かって?滑走路上を通過する際、航空管制官からの指示によっては滑走路を空けるため停止しなければならない場面があることだ。
5.ブルージオ石造高架橋で円を描きながら走る列車
ブルージオ橋とは、スイス・ブルージオにある単線で9つのアーチを持つ螺旋状の石造高架橋である。他の螺旋状の線路同様、列車が比較的短い距離で高度を調整できるように作られている。長さ110mで傾斜7%。円を描きながら列車は走り、約10mの高度を調整していく。ここはベルリナ鉄道の途中にあり、サンモリッツから約55kmの場所にある。
6.土手道(陸橋)を走る列車
ヒンデンブルグダムはドイツ・北フリジア諸島のジルト島と本土シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州を結ぶ最長11kmの土手道(陸橋)である。鉄道輸送のためだけに1927年に開通した。
土手道が出来る以前は、島への行き来は潮の満ち引きに翻弄され、冬にはワッデン海の氷が侵入不可能な障壁を形成し、悪天候の際には島まで約6時間かかった。シーサイドリゾートのウェスタ―ランドの人気が高まったため、鉄道土手道が計画され現在に至る。
今日では毎日100両以上の列車がこの海上の土手道を通り過ぎ、そのうち50両は車を運んでいる。(ジルト島へ接続する道路は存在しないため)毎年、列車は45万台以上の車をこの土手道から輸送している。
7.中国とアメリカを結ぶ全長約13,000kmの鉄道を計画中の中国
中国は、太平洋の下に海底トンネルを造り、ロシアを経由して中国とアメリカを結ぶ全長13,000kmもの新幹線鉄道路線の建築を計画している。
提案されている中国から始まる路線は、シベリア、ベーリング海峡、アラスカ、カナダを経由してアメリカに到着予定。路線が開通すると、新幹線は時速350キロで走行し、乗客は中国からアメリカまで2日以内に着くことができる。中国同様、鉄道輸送に大きく依存するロシアも、このアイディアを強く支持している。
ロシアとアラスカ間のベーリング海峡を横断するには、約200kmの海底トンネルが必要である。
8.深い渓谷の谷間を走る列車
米カリフォルニア州オーバーンで1860年代に初めて鉄道の建設を行った際、町の西側を深く切り開き、両側が切り立つ渓谷に長い(高さ30m、長さ152m)の木製架台を築かなければならなかった。1864年にBloomer Cutが完成したとき、それは現在に至るまで「世界8番目の不思議」と称賛されている。この渓谷は時の流れの中で荒廃を免れた数少ない大陸横断鉄道のランドマークの一つである。
インディアナ州の州議会議員ウィリアム・ホルマンは、1862年に大陸横断鉄道は「鉄道に適切な普通の道だけでは建設できなかった。それはほぼ通行不可能な山脈、深い山峡、渓谷、乾燥した砂地の平野を通って建築されなければならなかったのだ。」と述べた。ホルマン代表は、大陸横断鉄道建設が直面した障害をいくつか挙げ、Bloomer Cutはそうした障害を克服した素晴らしい歴史的な例だと称賛した。Bloomer Cutは工学の驚異であり、それを構築した労働者の強さと決意の証である。
【ソース:ODDEE】