米・国防総省内の極秘プロジェクト
2017年の暮れ、ニューヨーク・タイムズ紙が報じた米政府内のUFOに関するプロジェクトの存在が明らかになり、世界中に衝撃を与えたことは記憶に新しい。同紙の取材によると、そのプロジェクトは米国防総省内にあり、UFOと地球外生命体を調査する極秘のものだったという。確かにこのプロジェクト「先端航空宇宙脅威特定計画」は2007年に発足し、すでに2012年には終了し、その成果も公開されていない事実からも、一般の米国民には極秘だったのだろう。このプロジェクトの管轄は国防総省であり、その名称からもUFOに対する「脅威」が前提にあることを窺い知ることができる。今回の報道では米空軍のパイロットたちが任務中に撮影したとされるUFO映像も公開され、その不可思議な飛行状況を確認した読者もいるだろう。映像ではパイロットたちの会話が生々しく、通常の飛行物体ではないものが確実にこの地球の空を飛んでいることが明らかになったことは意義深いだろう。というのもこれまでは米軍や米政府からこうした記録が出てくることは極めて稀であったからだ。ニューヨーク・タイムズ紙のような世界を代表するメディアが取材に基づき報道したことはUFOの実在性という側面からは大きな援護射撃となったことは間違いない。
公式記録に残る「UFOを追跡して墜落した」事件
今回のニューヨーク・タイムズ紙の報道を契機に注目したいのは軍所属のパイロットたちだ。それは最も信頼できるUFOの目撃者だからだ。そしてこの構図は現代だけでなく、戦後間もない1945年以降ずっと繰り返されてきたものだが、同時にほとんどが公にされてこなかったことでもある。しかし、米軍の公式記録にはUFO追跡に直接関係のある死亡事故が存在する。それが「マンテル大尉機墜落事件」だ。この事件は1948年、つまり第二次世界大戦のたった3年後に起こっている点、また、米軍内から寄せられたUFO情報を調査していたプロジェクトサインのエドワード・ルッペルト大尉が事件後に関係者にインタビューし、それらの記録を公表している点でUFO研究にとって大変重要な事件である。今回は戦闘機のパイロットの目撃と墜落という点で重要かつ衝撃的なこの古典的事件を掘り下げて解説していく。
右から)空軍から依頼を受けてマンテル大尉事件の再調査を行ったエドワード・J・ルッペルト大尉(Edward J. Ruppelt)、その原書版「The Report on Unidentified Flying Objects」、左はその邦訳「未確認飛行物体に関する報告」
基地司令官も確認したUFOを追跡せよ!
事件は1948年1月7日の午後1時過ぎに起こった。米国ケンタッキー州内の複数箇所でUFO(当時はフライングソーサーと呼んでいた)の目撃が相次ぎ、管轄のゴッドマン基地に報告や問い合わせが入った。そして、実際に基地の管制官やその助手も物体を目撃し、最終的には基地の作戦将校、情報将校たち全員が管制塔から同じ双眼鏡で確認した。さらにルッペルト大尉のレポートによると最終的にはゴッドマン基地司令官も物体を見たとある。驚くべきは、基地司令官であるヒックス大佐は物体を見て悩んでしまったことだ。ちょうどその時、事件の主人公トーマス・マンテル大尉率いるF-51Dの小隊が基地へ近づいてきた。そこで物体を調査するよう依頼したところ、燃料切れの一機を残し、そのまま3機は謎の物体を調査すべく飛んで行った。つまりマンテル大尉はゴッドマン基地の指令によって物体を追跡した正式なUFO追跡任務を開始したのだ。
最も信頼できるUFOの目撃者は誰か
「マンテル大尉機墜落事件」は当時「フライングソーサーを追跡中に爆発」と報道されたが、実際には墜落だったことが判っている。UFOとの因果関係についてルッペルト大尉が出した結論は意外なものだった。それは「スカイフック気球説」だったからだ。スカイフック気球とは全幅100フィートもある「海軍」が開発した巨大な気球であり、当時は空軍にも伝えられていなかった極秘プロジェクトだったという。ルッペルト大尉は極秘であったために基地関係者も判断できなかったと結論付けているが、事件に関する以下の2点を忘れてはならない。①マンテル大尉が更新記録で語ったのは「非常に巨大で、金属製のようだ」と管制官に報告していたこと。②10,000フィートから墜落する直前は20,000フィートまで短時間で上昇しており、果たしてスカイフック気球がマンテル大尉のF-51Dを振り切れるほどのスピードで上昇できるのか?という疑問が残る。また、そもそも基地管制官や司令官などの将校たちは気球を見て頭を抱えるほど素人ではないだろう…。このようにルッペルト大尉がいかなる論説をもっともらしく並べ、UFOとの関連を否定しようと「マンテル大尉機墜落事件」が米軍の公式記録に登場するUFO追跡に直接関係のある最初の死亡事故として語り継がれていることに変わりはない。そして当時からUFOとの遭遇の最前線にいるのはパイロットたちだったのだ。さらに言えば、日本の航空自衛隊や民間のパイロットたちも同じ境遇であることを忘れてはならない。彼らも同じ空を飛んでいるのだから。
UFOとの対比。スカイフックとその実験を行った海軍空母、そしてマンテル大尉機の大きさを比較してほしい。
<参考文献>
UFO Report Japan Vol.19(2006)日本UFO調査・普及機構
未確認飛行物体に関する報告(2002)E.J.ルッペルト著 Japan UFO Project監訳
日本UFO調査・普及機構
代表 加藤純一
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電子書籍「UFO-飛翔体 遭遇とその軌跡」