葛西 智子 (有限会社N・T・Kプランニング 代表取締役)
東京都生まれ。1983年からフリーにて芸能プロダクションで、日舞、ダンス、演技指導に従事。若手育成に力を注ぐ。1993年から結婚式の司会活動も開始し、大手葬儀社に所属。アシスト業務・葬儀司会・担当補助・企業開拓営業等オールマイティの業務に従事した。2003年に有限会社N・T・Kプランニングを設立。葬儀業界で古き時代の格式を重んじる儀式から、ライフスタイルに合わせた儀式迄、それぞれのニーズに対応しながら、プローデュース&司会進行などを手がけている。葬家からのリピートも多い。アシスト・司会業務の教育・育成にも尽力している。
夢は舞台女優だったが…
葛西智子は、いまでこそ葬祭業を活躍の舞台にしているが、子ども頃の夢は舞台女優。歌や踊りが大好きで日舞、ピアノ、ボイトレなど習い事をした。山口百恵さんが大好きだった。
劇団にも所属し、高校を卒業すると演劇方面へ進んだのも当然のことだった。
しかし間もなく、家庭に入ることになった。
そして3年で復帰したが、子供を抱えて自分のやりたいことをやるのは難しい時代。しかたなく芸能方面を諦め、父の税理士の仕事を手伝いながら保険業界で30歳頃まで仕事をした。時はバブル時代で実入りは多く仕事は充実していた。
とは言え、親に子供の面倒を見てもらいながらの生活をいつまでも続ける訳にはいかない。自立しようと思った。
ある日、夜のアルバイトを探していると、息子がお通夜の案内をする女性のアルバイトを見つけた。
やってみると、これが性に合った。
夢は舞台女優だった葛西にとって、人前に立つ仕事は天職に近いものだった。
葬祭の仕事は仏事を知らなければならなかったが、小中高と仏教系の学校だった葛西にとって、理解するのに時間はかからなかった。
仕事が面白くなった。
葛西は葬祭の世界へのめり込んでいく。
女性の葬儀司会のパイオニアに
葬儀業の世界は男性社会。女性には様々な壁が存在した。
女性が葬儀の現場に入ることすらタブーの葬儀業界で、当時女性の司会者は居なかった。
幸いにも案内は気遣いや気配りができる女性が良いという、大手の葬儀会社で仕事を始めることができた。
人前で話すことが好きなので、この機会を生かしてみたい。
社長にお願いして勉強させてもらった。
そんな中、とある会社の社葬で、女性MCの要望があった。
始めての現場は、会社の役員たちが見学に来るほど注目された。
そして葛西は見事にその大役を果たした。心に大きな自信と未来への展望が広るのを感じた。
以来、大きな式の時には少しMCができるようになった。
1年ほどして個人葬でも女性司会の要望が出てきた。
その頃になると、アナウンサー系や結婚式場の司会の女性が葬儀の司会に進出してきた。葛西がアドバイスを求められることも多くなった。
いつの間にか葛西は、女性の葬儀司会のパイオニアになっていたのだ。
自分の手で心のこもった葬祭を
10年勤務して、独立。2003年に会社を設立した。
葛西は設立時の心境について、「大きい会社だった時は流れ作業の葬儀だったけれど、最後まで心のこもった式をやれるようになったことが嬉しかったですね。」と振り返る。
そして現在では「今は“終活”と言う言葉もありますが、人生のラストステージを飾る式をキチンとしたものにしてあげたい。生きてきた命の尊さを大切したいという思いが私を動かしています。これはずっと持ち続けている思いです。」と語る。その姿に葬家に常に寄り添う葛西の気持ちが溢れている。
音楽葬ではこんなエピソードも。
「ある日、亡くなった方が三味線好きの方だったのですが、たまたま私の娘が津軽三味線を習っていて、葬儀の場で三味線の演奏を行ったところ、大変喜ばれました。参列者の皆さんは、生演奏を聞くと故人の思い出が蘇ってくるんですね。今では曲だけではなく、歌もプロのシンガーの方を招いたりもします。人生のラストステージを華やかに彩ることができるので、故人葬のお別れ会や偲ぶ会などに良く合うと思います。」
最近では「亡くなる前に自分の葬儀に出てみたい」という声を受けて、生前葬にも力を入れている。
「生前葬という言葉を使わせてもらっています。皆で歌を歌ったり踊ったり、本人にお友達から言葉をかけたり。またナレーションでその方の人生を振り返り、最後にご本人が出席者に挨拶をします。結婚式のようなイメージです。」
お金を使うなら生きているうちに使って、亡くなったら火葬のみに。遺族の負担も軽くなるという。
「会費制をおすすめしています。エンディングノートで相続対策もできますし、保険会社や税理士の方も勧めています。」と現実的なアドバイスも丁寧に語る。
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