「古代バビロニア粘土板がバベルの塔が実在したことを証明!」

「古代バビロニア粘土板がバベルの塔が実在したことを証明!」

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聖書にあるバベルの塔は実在したことが、古代バビロニアの粘土板により分かってきた。紀元前6世紀に遡る古代粘土板は、今から約100年前に発見された。そしてそれは、バベルの塔がは実在したという結論を示している。また粘土板は史上初となるバベルの塔の本当の姿とその建築過程、また建築の背後にいた人物も記されていた。新バビロニア王国の二代目の王、ネブカドネザル二世である。

 

 

紀元前600年頃に作成された思われるこの古代粘土板は、約100年前に発掘された。ところが、最近になってやっとロンドン大学のアンドリュー・ジョージ教授が、粘土板に聖書に書かれたバビルの塔が描かれているとして、然るべき研究が行われたのだ。粘土板は数年の間ノルウェー人の会社員Martin Schoyen氏のプライベート・コレクションとして保管されていた。

 

Schoyen コレクションのウェブサイトによれば、バビロニアのジッグラトは元々ハムラビ王の時代(紀元前1792-1750)に建てられた。ナボポラッサル(新バビロニアの建国者)のもと、改築と増築が行われ、更にネブカドネザル二世(紀元前604-562)により43年かけて完成された。

 

スミソニアン・マガジンはジョージ教授がバベルの塔と彼の見つけた証拠について語る動画を特集し、それは多くの人にとって説得力のある内容であった。

 

仮説によれば、人間は元々一つの言語を話していたと信じられている。面白いことに、その他多くのことと共に、そのことも聖書の創世記11章に記されていて、中にはバベルの塔についての記述もある。

 

創世記11章
1.さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。
2.そのころ、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。
3.彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作ってよく焼こう。」彼らは石の代わりにレンガを用い、粘土の代わりに瀝青を用いた。
4.そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」
5.そのとき主は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りてこられた。
6.主は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことでとどめられることはない。
7.さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」
8.こうして主は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。
9.それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。主が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、主が人々をそこから地の全面に散らしたからである。(聖書:新改訳)

 

スミソニアンの動画の中でD.ジョージ教授は粘土板には階段式タワーと円錐帽を被った人間が何かを運ぶ様子が描かれていると説明している。
また、レリーフの下には、容易に読み取ることのできる文が刻まれており、そこには「バビロンの町のジッグラド聖塔」と書かれているという。

 

「この粘土板は史上初となるバベルの塔の本当の姿を描いています。建物はメソポタミア風の階段式タワーであったことの確証であり、7段の古代巨大建造物が描かれています。注目すべきはそこにはっきりと建設の裏にいた人物が記されていることです。メソポタミアで最も有名な王、新バビロニア王国のネブカドネザル二世です。」と動画で語られている。
驚くことに、粘土板は塔がどのように出来たのかという豊富な情報も刻まれていた。

 

ジョージ教授は動画の中で:「そこには’上の海から’つまり地中海から’下の海へ’つまりペルシャ湾へ・・・と読み取れます」ジョージ教授は概要を説明した。「遠く離れた土地に居住する多くの人々がこの建造物-バビロンのジッグラドを建築するために動員されたのです」

 

更に、以下のように言及した:「驚くことに、この古代の記述は、バベルの塔がどのように建てられたかという聖書の話と全く同じである。研究者にとってこの粘土板はバベルの塔が単なるフィクションではなかったという更なる証拠を示している。塔は古代の実在の建物だったのだ。」

 

【ソース:Ancient-code

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